作詞・作曲 小林国利 父さんと母さんに感謝の歌
一. 小さな体におさがり洋服 背中で踊るよ 軍隊かばん 母にすがって 歩いた野みち(道) 伊那谷雪溶け 今日から一年生
二. 小川のせせらぎ きらきらひかり うぐいす小枝で ほーほけきょ 戦地の父さん 帰る日待つよ 王城山から 春風届く 三. 照る日曇りの日 母さんと野良に出る 麦踏み田植え 稲刈り仕事 大きくなったら 世に尽くせよ くわ(鍬)の手休めて 教えてくれた
四, 山の頂上(いただき)に 黒雲わ(沸)けば 驚く早さで 雪が来る 野沢菜摘む手は 寒さに震え 荷車ガタゴト 家路を急ぐ
今春私の初孫が小学校に入学する事になり 自分の小学校の入学時を振り返り 思いがけず歌詞が脳裏に浮かびました。 彼は本が大好きで読み終わると内容を話して くれます。会うのがとても楽しみで、不思議ですね。最近会った時、オセロゲームを教えてくれましたが ゲームでは気を使って必ず私を勝たせるのです。 孫になると何故こんなに可愛いのでしょうか?。 私の小学校入学は戦後の昭和21年4月でした。 母にすがって農道を歩くこと30分程、辰野小学校にたどり着きました。 食べる物も着る物も不自由な時代 白米ご飯なんて見たことが無い。姉と毎日もちぐさを摘み、ご飯に混ぜて食べます。おいしかったな。 おまけに戦争で父はまだ何時帰るかも分からない日々でした。父の顔は全然覚えていません。 小学校は高等科の生徒もいたのか戦争から帰って来たようなお兄さん達もいました。今の小・中学校・高校が一緒の学校だったのでしょうか。 現代の子供たちは長い不況の影響で夫婦共働きの家庭が多く、違った意味で生活していくのが苦しい事でしょうが、私たちは幼稚園もなかったので、集団生活は初めてのこと、学校に通うのがとても恐怖でした。 農道を母さんの大きな手につかまり、背中には父の使った軍隊カバンを背負いました。茶色の大きなカバンでした。 でも父が遠くから見守ってくれたのでしょうか。 間もなく父はやつれてインドネシアのレンバン島から帰国しました。 (傷痍軍人の父は兵隊でも老兵だったのかな)。後日一緒に帰国した兵隊さんが書いて下さった回顧録を思い出し父は大変な苦労をしたことを父の死後知らされました。
「父さん母さん有難う。」「私を生んで下さってありがとう。」感謝の日々を送っています。 作曲もしました。 私の孫が成人するまで仕事を頑張ります。少しは世の中の為になるように。少し暗い歌詞ですか?止むを得ないことですが。 「akoの革工芸」と検索して家内の作品ご高覧願います。
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