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父さんと母さんに感謝の歌 2013/4/16(Fri)
   作詞・作曲 小林国利

父さんと母さんに感謝の歌

一.   小さな体におさがり洋服
    背中で踊るよ 軍隊かばん
    母にすがって 歩いた野みち(道)
    伊那谷雪溶け 今日から一年生

二.   小川のせせらぎ きらきらひかり 
    うぐいす小枝で ほーほけきょ
    戦地の父さん 帰る日待つよ
    王城山から  春風届く
    
三.   照る日曇りの日 母さんと野良に出る
    麦踏み田植え 稲刈り仕事
    大きくなったら 世に尽くせよ 
    くわ(鍬)の手休めて 教えてくれた

四,    山の頂上(いただき)に 黒雲わ(沸)けば
    驚く早さで 雪が来る
    野沢菜摘む手は 寒さに震え
    荷車ガタゴト 家路を急ぐ 

  今春私の初孫が小学校に入学する事になり
 自分の小学校の入学時を振り返り
 思いがけず歌詞が脳裏に浮かびました。
 
  彼は本が大好きで読み終わると内容を話して
 くれます。会うのがとても楽しみで、不思議ですね。最近会った時、オセロゲームを教えてくれましたが
 ゲームでは気を使って必ず私を勝たせるのです。   
 孫になると何故こんなに可愛いのでしょうか?。
 
  私の小学校入学は戦後の昭和21年4月でした。
 母にすがって農道を歩くこと30分程、辰野小学校にたどり着きました。
 食べる物も着る物も不自由な時代 白米ご飯なんて見たことが無い。姉と毎日もちぐさを摘み、ご飯に混ぜて食べます。おいしかったな。
 おまけに戦争で父はまだ何時帰るかも分からない日々でした。父の顔は全然覚えていません。
 
 小学校は高等科の生徒もいたのか戦争から帰って来たようなお兄さん達もいました。今の小・中学校・高校が一緒の学校だったのでしょうか。
 
 現代の子供たちは長い不況の影響で夫婦共働きの家庭が多く、違った意味で生活していくのが苦しい事でしょうが、私たちは幼稚園もなかったので、集団生活は初めてのこと、学校に通うのがとても恐怖でした。
 
 農道を母さんの大きな手につかまり、背中には父の使った軍隊カバンを背負いました。茶色の大きなカバンでした。
 
 でも父が遠くから見守ってくれたのでしょうか。
 間もなく父はやつれてインドネシアのレンバン島から帰国しました。
(傷痍軍人の父は兵隊でも老兵だったのかな)。後日一緒に帰国した兵隊さんが書いて下さった回顧録を思い出し父は大変な苦労をしたことを父の死後知らされました。

 「父さん母さん有難う。」「私を生んで下さってありがとう。」感謝の日々を送っています。
  作曲もしました。
 
 私の孫が成人するまで仕事を頑張ります。少しは世の中の為になるように。少し暗い歌詞ですか?止むを得ないことですが。
 
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諏訪清陵高校の皆様へ 2013/3/19(Tue)
 諏訪清陵高校の2013年各大学合格者の一覧を見ました。
近年にない国立大学への合格者が急増している事を知り
大変嬉しく思います。受験された皆様のご努力に深く
敬意を表し感謝を致します。又、ご指導された先生方に感謝申し上げます。
 これからも諏訪清陵高校から益々多くの合格者が出ますように祈っています。ありがとうございました。
 私のホームページに厳しい意見を書いた事をどうぞお許し下さい。

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小林正樹兄、母校に太鼓を届ける 2013/3/11(Mon)
先日長兄から電話が入りました。大きな太鼓が病院にあるが、諏訪清陵高校に寄贈したいと電話がありました。

 世話になった団体に寄贈したいと言うので「それは諏訪清陵高校が一番喜んで下さるよ。」
 兄弟としてこんな嬉しい事はありません。兄は翌日学校に届けたそうですが、佐藤校長先生始め大勢の先生に
感謝されたそうです。
 私の大学生活はこの兄から四年間学資を現金書留で送り続けていただいたのです。
 
 兄は、陸軍航空士官学校に合格していたのであと半年戦争が続いたら、恐らく父の戦うスマトラ島にまで行かないうちに航空機もろとも撃墜されたでしょう。
 私も今の職業には当然付けませんでした。

 兄の善意の太鼓はきっと諏訪清陵の入学式の校歌斉唱時又は学友会の歓迎式典に堂々と参加出来るでしょう。母の大好きだった諏訪清陵校歌を後輩達が歌います。感謝のあまり涙止まらずです。

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伊藤長七先生の姪孫さんを偶然発見 2012/12/14(Fri)
私は諏訪清陵高校に入学出来たことを大変嬉しく思っていますが、母と生活した小学生の時、何時も母が歌ってくれた
「東に高き……」諏訪中学校の校歌に憧れて昭和31年4月に入学しました。日本だけでなく世界に向けて羽ばたけるような人になれと、励ましてくれた校歌です。
 その後、作詩者の伊藤長七先生は東京高師を卒業されて
都立小石川中の校長先生になり、教育界でご活躍されて、南米に旅行中に病に倒れたことを知りましたが、その姪孫さんが、東京にお元気で生活されている事を、偶然知りました。
 姪孫さんの母は東京で伊藤長七先生の子供と一緒に長七先生に育てられたそうです。

 姪孫さんも諏訪中学校を卒業されて私ともメールを交換できる仲となりました。
 私は次回の東京清陵会の懇親会にはこのお孫さんの
指揮に合わせて校歌を歌いたい。
 これがわたしの夢で有ります。
 是非実現したいですね。
年一度の会報も縦書き、横書きと議論するのも良いが、同窓生の今の近況等自由に応募すれば選択は有っても
会員の世界での活躍等が載る会報に早く変貌していくべきと思います。
 同窓会活動が活発になるように私の提案です。
宅急便も1センチの厚さまでは同一料金だそうです。
 
 伊藤長七先生の二番目の兄のお孫さんに会報に投稿して戴くのも良いと思います。校歌の斉唱にも一層心が入ります。
 諏訪中学校に入学時に「君のおじいさんが校歌を作詩したのですね」と音楽の時間に先生から言われ今でも忘れられないそうです。
 総会の運営にも会員の総意が反映されるようにしないと
会員は増えません。
 戦後ヒットした青春歌「古い上着よさようなら、悲しい夢よ…}ですよ。徐々に変身していくことが大切と思います。
 伊藤長七の姪孫の件、「あなたが知らないだけで皆さんが知っている」とのことでしたら御免なさい。

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黄色の銀杏の葉散る並木道 2012/12/13(Thu)
12月6日とても寒い朝でした。一斉に湯島の聖堂の銀杏並木が黄色に飾られ並木道は黄色のじゅうたんで3p位積もりました。
 冬が来たなと実感しましたが、
12月13日再び聖堂の並木道を歩きますと
一瞬の風に銀杏の葉が舞い落ちました。
 与謝野晶子の短歌が思い浮かびました。
文京区は銀杏並木が何故か多いですね。
 東京大学の校章も2枚の銀杏の葉ですか。
 私には遠い存在でしたが
景気回復が今年の願いですね。


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