私の父は戦後シンガポールのレンバン島捕虜収容所から解放されて復員したのが昭和21年5月,私達子供7人を育ててくれた大切な田畑でしたが、実家に住む人もなく残念な荒れ地となりました。 先日弟と草刈りに畑に行ったところ雑草の中に、赤い実をたわわに付けた一本の柿の木が二人を出迎えてくれました。 生前「孫を連れて辰野に戻った時にきっと子供たちが喜ぶから」と実のなる木、栗の木、柿の木、ブドウの木、を植えてくれたその時の柿の木でした。父の姿がダブりまさに眼がしらをうるませた。 両親を喜ばせようと努力はしたが、何か理屈を付けついに田舎に帰らなかった私は親不孝者でした。 真っ赤な柿の実を見るにつけ父の遺志を引き継がなくてはと再び決心しました。 土手一面に茂った木はついこの何年か前までは細い木だったものがのこぎりを使っても簡単に切れるものでなく大木になっていました。 まだとても1日では刈りきれない畑を残して二人は帰ってきました。 田畑を見るにつけ50年が経過したのに昔と何も変わらぬ信州の自然にただただ驚くばかりでした。 >「akoの革工芸」と検索して家内の作品を御高覧下さい。
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