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 研 究 内 容


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ふるさと辰野会と信濃の国 2008/10/3(Fri)
  ふるさとは遠きにありて思うもの 石川啄木
父母が元気な頃、結婚したばかりの私に田舎に帰るようにと何度も何度も説得されたが、いつしか父母は亡く、故郷の田畑は荒れ地と化した。
 今、同志の皆さんと東京の地に一年に一度だけ
会える憩いの場を作ることが出来た。
 =ふるさと辰野会
 これで親不幸の償いが少しでも出来たかもしれない。
 東京に美しい山と空と水に囲まれたふるさと辰野を築こうよ。雨が降っても雪が降ってもふるさと辰野を 東京の地に育てようよ。決して絶やすことなく。
 又、辰野町の発展に皆が出来ることで協力しようよ。

 「信濃の国」は卒業した学校や教えを受けた先生は違っても信州人はこの歌のお陰で一つになれる。長野師範の偉大な先輩達の業績に感謝します。
 私も恩返しの一つに「ふるさと辰野」の歌を作詞・作曲することを誓います 
 今年も庭に咲いたハイビスカスです。
 
 世話人一同楽しんでいただけますように準備してお待ちしてますので、予約なくても友達さそって来て下さい。不明な点は電話してください。

   


信濃の国 (県歌) 2008/9/12(Fri)
或る人から送られてきた信濃の国のCD
私は毎日家で寝る前に聞きます。
 辰野の運動会で、文化祭で、町民運動会で
決まって最後に皆で歌った懐かしい歌です。
 子供の頃は歌詞の意味も解からずただただ
大声で歌いましたが、
 素晴しい歌詞と旋律です。
 実は伊那北高校出身の東京芸大卒のクラリネット
奏者が桐朋学園大学の卒業生と演奏していますが
誠に素晴しいです。
 長野県は北信と中信に別れまとまりのない県でした。昭和22年北信と中信が県を二つに分けようと県議会で決議しようとした瞬間に傍聴席から突如とこの歌が流れて長野県は二分されずに済んだとの
エピソードがCDで解説されています。明治33年に長野師範の先生二人が作詞、作曲されたそうです。
 遠く離れた東京で皆が友が大声で合唱して再会を
喜び合いましょう。ふるさと辰野会が早く来い、来い。
 私も何時の日か「ふるさと辰野の歌」作詞をしたいで
すね。


頼れる医師を探す旅 2008/8/30(Sat)
 人は年齢を重ねると、大きな声では言えないが、疲労が重なり病気が出ます。
 長い間大学病院で診察して薬を飲み続けましたが、
どうもおかしいなと思い、個人病院で診ていただきました。
 医師は永い経験からあらゆる検査を一日で終えて、
今服用している薬は副作用が出ているから、直ぐ止めるように言われました。
 薬を止めた一週間後にはもう若い頃の働く青年に体が
戻ってきました。
 現在の医師は専門に強いのですが、体全体を見て評価していただけないから、患者にとって適切な治療方法ではない医療が施される事があるでしょう。
 手術のようなときは大きな病院にかかるのが安全ですが
通常の治療では経験あり、体全体を診察できる医師を
探すことが大切と痛感いたしました。
 私の命の恩人に又遭遇できて幸せです。
 会計も同じで、納税者に一番有利な方法を常に研究
する旅路であります。
 夏休み家内と散策した日光霧降高原の旅


故郷辰野あ〜懐かしきかな 2008/8/12(Tue)

 昭和19年五月私の家族は東京より疎開しました。
三歳上に姉がいてよく遊んでいただきました。
父の顔は覚えていません。再度の召集令状が来て 私たちを辰野に残し輸送船に乗りスマトラ島に行きました。
 小学校に入学しましたが、本が無いので黒板に先生が書いて国語を教えてくださった。林辰久先生 
畠や土手の草は食べられるものは毎日摘む、「摘み草」を
するのが子供の役目でした。
 四年生からは芝浦タービンに煙突男が現れ、長野県の全ての警察車両が集まった。
 秋になると現在の辰野中学校の或る辺りの天竜河畔で石を拾い、生徒は並んで
学校までその石を運びました。冬の校庭は泥んことなり、私たちは秋に運んできた石の上を歩きました。
 校庭の南側にポプラの木が一本大きく伸びていました。
 私は、背が低く頭も悪い、目立たない生徒でした。
 農業が好きでしたので、早く帰って母の野良仕事の手伝いでした。
 校庭にスケート場を作り、冬の体育の時間はスケートでしたね。
足が痛くなり、あまり上手に滑れなかった。
 私の姉が小学校に勤務するようになり、これも思い出です。
 鳥追いは上辰野は宮所と1月14日に行ないました。
私は一年休学していましたが、後の学年の友達に雪の中に投げ飛ばされたなつかしい思い出があります。
 プロ野球の2軍が来て、丸山球場に学校で観戦に行きました。
辰野劇場で年に数回、白黒の映画を学校で見に行きました。
 でも、楽しかったが決まって頭が痛くなりました。空気が良くなかったのでしょう。
「風の子」、板谷トンネル「風雪20年」は今でも目に浮かびます。
 こんなおもいでですが、どうか私を知る人はふるさと辰野会に来て
思い出話をしませんか。
 暗い時代ですが、辰野にあったあの仲間意識を、この東京で再現させましょう。
 気軽にお電話をください


農業の手伝い 2008/7/16(Wed)
 僕は中学一年生
 学校から帰ると母さんが
 畑で待っている
  弟を二人連れて母さんの手伝い
 荷車引いて畑に行くと
 学校楽しかったかね
 さあ、手伝って
 母さんが大汗かいて大根を抜いていた
  大根は白い肌を出して
 畑一杯転がっていました。
  すばやく十本位の藁で五本ずつ縛った
  抱きかかえて畑の端に運んだ
  男の子はやることが早いね
 母さんが汗を拭き拭きほめてくれた
 大根を荷車に一杯載せて
 満点の星を背にして四人で家路につきました
 父さんは学校の先生で日曜日しか
 働けないので 母さんの手伝いが
 僕らの仕事でした
  このところ、毎日聞こえる柏の鶯に
 ふるさとを思いだし 書きました
 お母さんありがとう、お父さんありがとう


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